御祭神

民を難儀から救うために降臨された神

大己貴命

(おおなむちのみこと)

少彦名命

(すくなひこなのみこと)

 二神は力を合わせ心を一つにして天下を経営し、まじない、医薬などの道を教え、日本の国の礎を作った神様です。

 大己貴命は、だいこく様とも言われ、慈悲深く福徳を授ける神として崇敬されています。

 また、神話で大変親しまれている神様でもあり、「因幡の白兎」の昔話は特に有名です。

 鰐(わに)に皮をはがれて苦しんでいた白兎に、真水で体を洗い、ガマ(蒲)の穂の上に転がると傷がいえると、教えてあげたという神話です。

 古くから、福や医療の神様として慕われていることがわかります。

 少彦名命は、医療祖神と仰がれ万民を難病から救う神として信仰されています。

少彦名命も神話によく出てきますが、多くの場合に大己貴命と一緒に行動し、温泉(湯治場)を開発、医療の方法を定めた神様として語られています。

 そのお姿は一寸法師のモデルともいわれ、御神影のように大己貴命の手に収まるような小さな体と語られています。


御由緒

平安時代の書物である『日本文徳天皇実録にほんもんとくてんのうじつろく』によると、文徳天皇の斉衡3年(856)1229日、現在の神磯に御祭神の大己貴命・少彦名命が御降臨になり、「我は大奈母知、少比古奈命なり。昔此の国を造りおへて、去りて東海に往きけり。今民をすくわんが為、亦帰またかえり来たれり」と仰ったことから、当社が創建されたと伝わっています。その後、国からお供え物をいただける数少ない神社の一社となり、更には「大洗磯前薬師菩薩明神」の神号を賜りました。延喜式神名帳(平安時代の神社名鑑)では霊験あらたかな神社を表す「大社」とされ、明治時代には国幣中社という社格を賜りました。


御社殿等は戦国時代の兵乱によって焼失してしまいましたが、江戸時代になり水戸藩2代藩主徳川光圀公の命で元禄3年(1690)社殿等の造営を始め、3代綱條つなえだ公の享保15年(1730)に完成したのが今の本殿・拝殿・随神門です。

 本殿・拝殿は彫刻や建築様式が江戸初期の数少ない建造物として県の文化財に指定されています。


医薬の神様と御神水

   当社の創建について記されている「日本文徳天皇実録」には御祭神が降臨された時代は、天然痘が流行り、飢饉が起こるなど大変な時代だったことが記されています。特に御祭神御降臨の3年前には流行り病が猛威を振い多くの死者が出たとあります。

薬も医者もいない時代に常世の国(不老不死の国)とも言われた常陸の国に医薬の神が「今、民を救わんがために、また帰り来たれり」と仰り降臨されたのは、もう2度と同じような災難が繰り返されないよう、人々の願いを受けて二神が降臨されたと考えられています

 御祭神は平安の書物に「大洗磯前薬師菩薩明神おおあらいいそさきやくしぼさつみょうじんく」とも書かれた文字通りの医薬の神様です。

 境内から涌く水は眼病に効くといわれ明治時代まで「目さらしの井」があり、神社前の海岸は潮湯治(病気治療のため、海水につかること)で江戸時代から御祭神の御利益をいただこうと賑わっていたようです。

 現在も霊験あらたかな御神水を求めて多くの方が遠方よりお越しになります。 

  お水取りの場所(24時間可能です)

 東日本大震災では4mの津波が押し寄せたにもかかわらず、大洗町では津波での死者はいませんでした。 「目さらしの井」があった辺りには今でも少し水が湧いていますが不思議なことに、この時には大量の水が湧き出しました。大洗町は断水していましたので、この御神水を求めて多くの町民が神社に訪れました。喉を潤すことで地震で沈んだ心が癒えた方が多くいらっしゃったと思います。